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三日月の新たな「竹内流」の奉納額を久保八幡神社にて発見しました。
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文字はかすれてほとんど読めませんが、かろうじて「竹内」と「天保」の文字だけ読み取れるのは、流儀の執念か。
しかし、流儀の先生、門人の名前がわからないのは無念ですね。
この神社には、他にも二枚水害に関する奉納額が二枚掛かっており、土地の人達のこの神社への信仰の強さがわかります。竹内流の奉納額を掲げた人達も強い思いで掲げたのでしょう。
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姫路藩の砲術師範「野口 弐貫五郎」が「明石 彦一郎」へ出した関流の免状二巻を入手したので、姫路城郭研究センターに寄贈しました。

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姫路藩の藩主は、かなりコロコロ変わるのですが、最期は酒井家が藩主となりました。
その酒井家の砲術師範家として、野口家と小屋家があります。
「野口 磯大夫」、「小屋 幸大夫」共に初めは不易流の砲術を「三俣 惣大夫」に習ったそうですが、後に関流「関 軍兵衛」に入門して、酒井家における関流の祖となりました。野口、小屋両家の師範は、「野口 弐貫左衛門」や「小屋 弐貫次」等、代々「弐貫」を名乗ります。これは、打ち出した玉の大きさを示すもので、小屋、野口以外にも「貫」の名を名乗る者達がいます。
例えば、砲術試し打ち上覧の席で一貫目を打ったので「真下 貫兵衛」に改名するように藩主に仰せ付けられたり、2貫目を打ったので、その場で「福田 貫之進」と改名するように仰せ付けられたりしています。
「貫」の名前自体が名誉な事だったようです。
「野口 弐貫五郎」と「小屋 弐貫次博長」は、幕末の砲術師範で、安政6年(1859年)に「小屋 弐貫次博長」が76歳を迎えた事を祝した砲術の奉納額が高砂神社に現在も掲げられています。
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現在は、文字も打ち落とされた的も失われています。この中に今回ご紹介した「野口 弐貫五郎」「明石 彦一郎」の名前があるかも知れませんね。
ちなみに、明治2年の姫路藩の分限帳には
「野口 弐貫五郎 百石」
「明石 彦一郎 43人扶持」
と記されています。

本日5月25日、姫路城近くにある日本城郭研究センター二階大会議室にて三星会(姫路藩酒井家文化研究会)主催の例会にて行われた講演を聞きに行ってきました。
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内容は、姫路藩士で明治期には漢詩人としても活躍した「水越 耕南(みずこし こうなん)」について。
講師は、柴田 清継氏(武庫川女子大学非常勤講師)と蒋 海波氏(孫文記念館主任研究員・武庫川女子大学非常勤)のお二人。
明治期の元・姫路藩士がどう活躍したかを聞けて楽しかったです。

さて、蒋 海波先生が講演の前に自己紹介をされる中にこんな話をしてくれました。
「何故、私が姫路藩士「水越 耕南」を研究テーマにしたのか?それは、研究出来る史料があったから。研究とは、やりたい題材とやれる題材とは、必ずしも一致できるものではありません。研究したくても、研究するための史料がなければ、研究出来ないのです。」というお話です。
それは、本当にその通りだと思います。
私は、自分に出来る範囲の事しか出来ませんが、自分なりに史料を集め、兵庫県下の古武術史を調査して、少しでも後世の古武術修業者に情報を伝えられたら、と考えて行動しています。それが少しでも進められるのは、史料を保存して下さった人達がいてくれるからです。その感謝の気持ちが原動力の一つになっています。
史料があることは幸運で、それを生かそうとしないのは、無責任と言う名の罪だと思います。
今回、姫路藩士「水越 耕南」の講演を聞き、改めて兵庫県下の古武術史跡調査の意欲が沸きました。
三星会の例会は、姫路藩の文人の講演が行われる場所ですが、私にこういう刺激を与えてくれる場所なので、今後も例会に参加して、色々な事を学びたいと思います。

当会には、余川さんという78才になる方がおられます。
先週、私が力信流の木刀を持参した時に、私の木刀を一目見ただけで、翌週に自作の木刀を持参して来ました。
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(色の濃い方が余川さんの自作の木刀。)
信じられないほどの出来です。
余川さんは、一回の稽古でサイズから何から何まで見抜き、一日でこれをこしらえて来たのでした。
こんな事を言ってはいけないのかも知れませんが、余川さんの木刀とツバには一部の隙もなくピッタリとハマっており、ビクともしない。私が購入した木刀よりもはるかに高い精度で作成されていたのでした。
正に感動の一品です。

余川さんは元研ぎ師の方で当会に入る前から少林寺拳法を習っておられて78才とは思えないほど若々しい方です。余川さんは75才の時に入会しに当会の稽古場を訪れました。私は最初、高齢を理由に入会をお断りしました。
すると余川さんは、「これを見てくれ」と言って、いきなりその場で腕立て伏せを始めました。その腕立て伏せの速度が尋常じゃなかったので、私は、すぐに考えを改めて入会していただくことにしました。「この人は、只者ではない。」と、思いました。恐らく私以外の人でもそう判断したと思います。

余川さんが優れているのは、体力や器用さだけではありません。郷土の歴史の生き字引といって差し支えないほどお詳しい。私は、余川さんの知識を稽古場の皆で共有するべきと考えて時々、稽古の前に余川さんに郷土の歴史の講義を一時間近くしていただくこともあります。
余川さんは何と小学生の時に一人で網干区の道標を辿り、江戸時代の人がどういう道を歩いていたかを調べて地図を作成する研究をして教師に誉められた事もあるそうです。小学生の頃から地域の歴史を調べていたのですから、生き字引になるのも納得です。
余川さんは、和歌や文楽、お茶等もお詳しい。
本当に尊敬出来る人です。
こうなれば、どちらが弟子か師匠かわかりません。だから、私は深い尊敬の念をもって余川さんに接しています。こういう方に巡り会えた私は、とても幸運だと思います。

いつか私が高齢者になったとき、余川さんのように尊敬される人間になりたいと思います。
余川さん自作の木刀を見てつくづくそう思いました。

関西支部長の山根氏経由で注文していた力信流の木刀が本日、無事に届きました。油を塗る前の無垢な姿を記念に写真を撮りました。
流儀には、流儀指定の形状をした武器を使用するのがのぞましい。
勿論、作成してくれる武道具店が近隣になく、仕方ない場合もあるでしょうが、作成してくれる武道具店と知り合いになれたら、ラッキーでしょう。
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これで本来の形で力信流の稽古が可能となりました。

岡山県内で学ばれた力信流は、現在も岡山県の畑鮎で大江先生が御指南されています。大江先生は、江戸期に力信流の師範であった「大江 安左衛門」の直接の御子孫です。大江先生の稽古場は、江戸期に稽古場があった場所に今もあります。
江戸期に師範であった一族の御子孫から、現在でもその流儀を習える稽古場など全国的にもとても珍しく、通える人は、とても幸運でしょう。
岡山県にお住まいの古武術修行者は、流儀存続のため、郷土の伝統芸能を守るため、是非とも大江先生の所に通っていただきたい。

勿論、水月塾関西支部や姫路稽古会でも力信流を稽古出来ます。
岡山は遠くて通えないという方がおられましたら、是非、一緒に稽古しましょう。