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12月16日。山梨県にある水月塾本部で本年の稽古納めに出掛けてきました。
私は、柔術と半棒、短棒は、亡くなられた伊藤先生に習いましたが、その他の種目である居合等は、水月塾本部で指導を受けるのみです。そう言う意味でも本部での稽古は、私にとって貴重な稽古の時間と言う訳です。
古流に限らず芸事は、先輩からでなく師匠から直接習わないと上達は見込めない。個人の稽古のみでは、必ず歪みや足らず分が生じてしまう。ましてや動画等を参考にしても「参考」にしかならず、上達はあり得ない。だからこそ、きちんと師匠から習うことが重要になってくるのです。今回の稽古では、神道無念流の修正を細かに受けました。
また、神道無念流の後には、本部師範代の大石氏に甲陽水月流の指導を受けました。
丸一日の稽古が終わった後、忘年会が行われ、集まった支部長や本部会員の皆さんと楽しい時間を過ごし、帰宅しました。

さて今回の稽古会で居合の二段の賞状を授かりました。
ただし、賞状はあくまで「紙切れに過ぎない」と、思うことが重要です。
どういう意味かと言うと説明は、二つ。
一つは、小佐野先生のブログでも紹介されていますが本来、古流の団体である水月塾において段位は、日本の伝統分化のシステムを理解しにくい海外の門人の「稽古の励み」になるように設定されたシステムに過ぎないからです。
「水月塾に段位設定するのは、おかしい」と、批判される人もおられるかもしれませんが、あくまでもそう言う存在です。

もう一つの理由は、「おごらないこと」を我が身に思い知らせるためです。
人と言うものは、往々にして見栄っ張りでおごりやすく、そして自分を客観的に見ることが出来ない悲しい生き物です。
段位を授けられたからといって、その実力があるとは限らないし、低い段位の人が高段位の人より劣るとは、限らない。
賞状や段位は、自分の箔になると思った時点で人間終わりです。何故なら、そう思うのは、見栄や個人の達成感を満たす為のものでしかないと思っている証拠だからです。
亡くなられた伊藤先生は、よく仰っておられました。「免許皆伝なんか、ただの紙切れや。」と。
大切なことは、自分の器をわきまえて、おごらないこと。そして、段位や免状をもらった後も稽古の日々は続くという事です。

免状や段位等を自身の箔になると思った時点で人間終わりです。立場におごり、客観的に物事や自分自身を見れなくなったとき、人間は、全てを失います。
故に「段位」「免状」を貰っても一喜一憂することなく、淡々とこれまで通り生きて行くことこそ、人が武術を学ぶ上で一番大切にしなくては、いけないことなのです。
今回、本部での合同稽古に参加しにくいことを小佐野先生に御説明し、合同稽古日以外の日の個別稽古の許可も得ました。来年からは、本部での稽古回数を増やし、しっかりと居合の稽古をし、この度の段位を本当に「紙切れ」にしないように精進していかなくては!と、強く思いました。
それが私が今回、段位を授かった事に対する答えです。


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本日、当ブログカテゴリ「姫路藩の武術」内、槍術師範役の氏名の中に誤字があることが発覚しました。(2015年10月5日更新分「好古堂7」の記事。)

無辺流槍術師範 「片山 市郎左衛門」の苗字「゛片゛山」を「゛方゛山」と表記しておりました。
大変なミスをして申し訳ありません。お詫びして訂正しておきます。

今回、「片山 市郎左衛門」の御子孫の方からご指摘頂き間違いに気がつきました。
片山様は、間違いを犯した私をお叱りになるどころか、笑って許して下さり、その上、私に片山家の古文書の閲覧させて下さるそうで本当に有り難いことです。今後、兵庫県の古武術史の研究の貴重な資料になることは、間違いありません。
今回の間違いの埋め合わせではありませんが、片山家の古文書は兵庫県の古武術史の調査に生かしたいと思います。
片山様、本当にありがとうございました。

古流の演武や教則用の映像を見て研究することは、大変、有意義な事ではありますが、それで完全に技術を習得しようと試みるのは、時間の無駄です。
例えば、空手の形の教則用の映像を見て形の手順を学ぶことは出来ますが、それで得られるものは、実際にその形を習得したひとから直接習ったときに得られるものとは、全く別物なのです。
これは、単純に秘伝の部分が習えないとか言うだけの話ではありません。
空手の形等は、みもふたもない言い方をすれば、激しく手足を動かしているだけにすぎません。しかし、目の前で演武してもらい、その力の調節、技の緩急、呼吸を肌で感じないと、伝わらないものが多いのです。
これが高段者同士ならば、求められる技術の質も上がるので、なおのことです。
経験のない人には、ピンと来ない話かもしれませんが、経験者ならば、誰しも納得される話でしょう。映像を見て形を習得出来た気になることあっても、それは映像から自分の妄想を元に「別の新たな形」が誕生したに過ぎないのです。
研究の為に「参考」として映像を見るのは、大変、有意義な事ではありますが、それだけでは、手順を学ぶことしかできないのです。

亡くなられた伊藤先生は、よく仰っておられました。「私が先生の技を再現できるのは、私の手に先生の手の感触が残っているから」と。
古武術は、伝統芸能です。
師匠から弟子へ。人から人へ。手から手へ。
柔の技も実際に師匠から手取り足取り教わらなければ、身に付くことは、ないのです。口伝の部分等は、なおのこと稽古場以外では、教われません。

夜勤で寝付けない昼間に部屋を整理していたとき、ふと初めて購入した古武術の伝書「神道六合流」を見つけました。
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その頃は、まだギリギリ20代で激しいスパーリングのある格闘技の方が楽しくて、ここまで古流を勉強する事になるとは、思っていませんでした。
神道六合流もたまたま購入したもので
「六流派集めた流儀!?凄いお得やん!」とか「一度に色々習えてこれ一つで古流修行完璧やん!」とか「師範の草薙って名前がメチャメチヤカッコいい!」とかバカなことを考えて興奮していました。
また、この伝書は、和紙に手書きと言うもので、これが当たり前のように思っていました。小佐野先生の水月塾に入ってから神道六合流の免状は、印刷物もあったと知り、たまたま購入したこの免状が手書きであった幸運に感謝しています。
私は、門人に対しては古流の研究等を強制したことは一度もなく、ただ稽古の前に自分の調査したことや伝書をお見せしながら説明するのみです。皆さん大変、興味深く伝書を見つめておられます。
もちろん古流に限らず、ご自身が学び、ふれるものに対して無関心すぎるのは、全くよくありません。技術や歴史を学ぶことは大切です。

しかし、強制しなくてもその道に染まる人は、勝手にそういう世界の方に呼ばれるように入り込むものだと思っています。師匠は、そのきっかけになれば良いものと考えます。

現在の姫路市安富町安志には、かつて安志(あんじ)藩がありました。
小笠原家の本家が藩主として代々この地を治めましたが、どちらかと言うと小笠原家の本流を絶やさないために幕府が半ば無理やり飛び地をかき集めて何とか一万石の体裁を整えた土地でした。その為、経済的にとても苦しい藩政でした。
そんな安志藩でしたが、藩士に対して規律を弛めることはありませんでした。
残された古文書を見ると「家中の者は、例え下町に出掛けるときも袴を着用するべし」と何度も注意をしています。武士は武士らしい服装をしなさいと言うことでしょう。武士は食わねど高楊枝と言いますが、安志へ入封前は、九州の中津藩八万石であったのが、安志藩では一万石(しかも、飛び地をかき集めた一万石)では、家老であっても雀の涙程の祿高しか貰えまえせんでした。しかし、気持ちまで落ちぶれることはなく、武士のプライドを維持したのです。袴を着用することは、武士の大切な身だしなみでした。

安志藩は、そんな理由でとても苦しい経済状態でしたが、武術にも力を入れて藩校で指導していました。剣術では心影流、神道無念流が学ばれ、無念流の師範は家老小笠原家が務めました。
神道無念流は、抜刀に居合のセオリーを破る他流にはない工夫があり、その工夫を知らぬ者は、刀の出所を見抜く事ができません。
姫路では、多くの古流が学ばれましたが、多くの古流が絶えてしまいました。しかし神道無念流は、水月塾に現存しています。
特に姫路市民には、学んでいただきたいと思います。