FC2ブログ

(佐用町の伝説)
昔、佐用川で洪水が起きた。
その時に川上から壺が流れてきて、川岸にとまった。壺の蓋を空けると中には、五~六才の男の子がいた。
村人達は、この子供を連れ帰り、「流れ子」と名付けて大層可愛がったと言う。
流れ子は、大変賢く育ち、甲斐甲斐しくよく働いた。特に流れ子の入っていた壺で酒を作るのが上手く、その上、その酒は、万病に効いた。
それで村は、活気づいた。村人は、壺の贈り物とありかたがり、村を大坪と名前を改めた。

ある年の六月の事、柿色のかたびらを身にまとった見知らぬ老人が村にやって来た。
老人は、流れ子の所に来ると、流れ子は、昔からの知り合いのように仲良く語り合い、流れ子の家の真ん中に酒の壺を置いて、一晩中、歌ったり踊ったりしていた。

しかし、その翌日の事、村に大嵐が起きたかと思うと流れ子の家が地に潜ったか、空に吹き飛ばされたかもわからぬほど、忽然と消えてしまった。

それ以来、大坪では、柿色のかたびらを嫌ったと言う。

-----------------
水神の子供を思わせる流れ子は、大体が村に幸福をもたらすが、その内に村人が強欲になって水神の子供を追い出すか、殺してしまい貧しくなるのがパターンですが、この伝説は、大事にし続けたのに忽然と消えてしまったと言う珍しいパターンです。

スポンサーサイト

(加古郡稲美町の伝説)
大宝3年(703年)の夏、日照りの時に溜め池を作ろうとしたが、出来上がる前に、大雨が降って堤が切れてしまった。
どういうわけか、何度やっても堤が完成する前に大雨が降って堤が切れてしまうのです。
そんなわけで等々、溜め池の工事は、中止されてしまいました。

ところが和銅七年(714年)二月二日に稲美町の開墾者の孫にあたる人物が不思議な夢を見ました。
夢に現れた僧侶が「これまで溜め池の工事が失敗したのは、水源のかかり水が強いためだ。堤が切れないようにするには、六枚屏風の形にしなさい。それから、溜め池工事の最中に一人の美女が通るから、それを人柱にすれば、溜め池は、完成するでしょう。」と、告げたのでした。

早速、夢のお告げ通りに工事をし、通りかかりの罪もない女性を切り殺して人柱にもしました。
すると、立派な溜め池が無事に完成しました。人々は、犠牲になった女性の名前「にゅう」をとってこの池を「入ケ池」と言いました。


さて、それから月日がたって天平10年(738年)4月頃に村人が六尺あまりある鬼のような女と出くわします。
驚いて逃げようとすると、鬼女は、「私は、この池の人柱になった女です。本当は、この池に五百年すんだ蛇でした。人柱になった日に人々が集まっているので女になって様子を見に来たところで切り殺されて人柱にされました。最初のうちは、村人を怨みましたが、今は、心穏やかに過ごしています。あなたは、村にかえってこの池の水が流れる里に私を祀りなさい。」と告げて消えました。

村人は、言われた通りにお堂を立てて蛇の霊を慰めました。これが今の川上真楽寺です。

唐櫃(からと)村には、灘・御影の人々が北方の村々に品物を売り歩くために通った道がありました。

多くの人が使用するこの道には夜が更けると鬼神が出ると言われており、誰もが夜道を避けるようになった。

しかし、どうしても夜にこの道を通るものは、唐櫃村の四鬼(しき)家を訪ねて火縄をもらえば、鬼神も手出しが出せぬと言われ信じられていた。四鬼家は、修験道開祖の役小角(えんのおづぬ)の弟子の子孫と伝えられていたからです。

江戸時代の終わりに御影の番頭・仁兵衛が夜に唐櫃村から御影に帰ることになった。唐櫃村の者たちは、四鬼家の火縄をもらうように勧めたのだが、仁兵衛は、「おまじないよりも私の脇差のほうが頼りになる」と笑って火縄ももらわずに村を出て行った。

その夜は、嵐になった。一夜明けると嵐は嘘のように消えていたという。唐櫃村の人々は、仁兵衛が無事に御影に帰れたか心配だった。しかし、仁兵衛は、柴刈りをしに出かけた村人によって死体で発見された。

仁兵衛の握りしめていた脇差は、ボロボロに刃がかけていた。そして、仁兵衛の死体の脇の大岩には、何故か無数の刀傷が残っていたという。

こんなことがあってから、人々は、さらに鬼神を恐れて、一層夜道を通らなくなったという。

(たつの市の伝説)

那祇山の麓に萩原主人と言う人がいた。
享保11年(1726)男児5才になった2月の事、夜中に呼び声を上げることが七日間続いた。
不思議に思い7日目の晩に見張っていると10才ばかりの小法師が赤い舌を出して行灯の油を舐めていた。
男児は、声を殺して恐れていた。
やがて小法師が姿を消すとイタチが二匹現れて部屋中暴れまくり器財を破って姿を消した。
14、5日、それを防ごうと頑張ったのだが、怪異は、毎晩続いた。それどころか、現れるイタチの数は、150~60匹に増える有り様。
仕方なく那祇山の僧侶「大乗坊覚悛」と太市観音寺の「海弘」に祈祷を頼んだ。
二人が祈祷をするとたちどころに怪異は、起きなかったと言う。

--------------------
この伝説の不思議なところは、イタチが化けて出たのか、別の魔物の仕業なのか、亡霊の仕業なのか、祟りなのかわからないところ。
僧侶二人は、一体、何に対して祈祷をしたのだろうか?



(室津の伝説)
室津では、ひなまつりは、8月に行われています。
それには、こんな伝説があります。

今から四百年ほど昔、永録九年(1566年)桃の節句の日に播州室津の城山城で城主 浦上村宗の孫、宗影の嫁取りが行われていました。この花嫁は、黒田官兵衛の妹と言うことです。
そのめでたい宴の最中に赤松秀政の軍勢約二千が不意をついて襲ってきたのでした。

完全に虚をつかれた浦上氏の必死の抵抗もむなしく、宗影らは、花嫁ともども自害して果てました。
おめでたい宴の席が血まみれになってしまったのです。

それで室津の人達は、宗影らの事を大層憐れんで桃の節句は避けて、8月にひな祭りをすることにしたのです。
そして、桃の木の代りに山に沢山の梅を植え、そこが今では、有名な観光地、室津の梅林になったと言うことです。