井上氏よりご連絡いただき記事の中で重大なミスが発覚しましたので、訂正させていただきます。

私の記事では、井上市之進が八代目新見藩にて新見藩主に天心流剣術を指導していたかのように書いていますが、
八代目新見藩主関 長道は、元は、三日月藩主の森長義の次男で関家に養子に出されて後に新見藩藩主になった人物です。
長道は、文化12年(1815)年生まれで、天保9年(1838年)に新見藩主になります。
井上市之進が長道に天心流剣術のお世話を仰せつかったのは、文政8年(1825年)のことで、長道10才のときで、まだ三日月藩で生活していました。新見藩での指導ではありません。

「八代目新見藩主である関 長道がまだ三日月藩にいる頃に井上市之進が天心流剣術のお世話役をしていた。」

と言うのが正しい歴史になります。
「天心流剣術の高弟が新見藩で剣術の指導をしていた」と言う情報と混同して誤った記事を書きました事をお詫びいたします。

実際に新見藩でも天心流剣術が学ばれたかは、未確認ですが、新見藩のある岡山でも伝承があったようです。こちらも調べて見る必要があります。
詳しいことがわかりましたら、後日、ご報告いたします。

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