現在の兵庫県たつの市御津町は、江戸時代は姫路藩と丸亀藩(飛び地)が治めていました。
この御津町の加茂神社には、弓術奉納額が掲げられました。
それを記録したのは、驚いたことにシーボルトです。
御津町は、瀬戸内海に面する場所で、シーボルトがここで泊まったようです。
その時の記録に
「同じお堂の中に紙を張った丸い箱の蓋を、一枚の板に付けた物をたくさん見た。これは弓で当てた的で、射手が自分の氏名を書き同じように祈願してここに奉納したものであった。」

「縦60cm横120cm、文化2年(1805年)3月奉納。鶴田弥吉兵衛、柴田光五郎正信、市川真五郎真知等、数十人の署名あり。前記の他は人名剥げてよく見えず。」

鶴田弥吉兵衛は、姫路藩の日置流大倉派の師範で深川三十三間堂で一万四十五本、五千三百八十三本通して日本一の記録を打ち立てた「鶴田真太郎正時」の身内です。
この奉納額が姫路藩の物とわかります。
それにしても小さな神社用のためか奉納額としては、些か小さく、本当に数十人も名前が書いてあったのか?とも思います。
確かめに行けば良いのですが、残念ながら、この奉納額は、現存していません。
姫路藩の記録に残されていないので、シーボルトが記録に残してくれてなかったら、わからないところでした。

そして、御津町史がこれを記録に残してくれたから、私も知ることができました。
本当に有り難いことです。バカな私には、シーボルトの記録なんか見つけることなど不可能でした。
誰も記録に残さず、朽ち果て消えたあとでは、誰もこの奉納額があったことなど知ることができませんでした。
そして、それは過去の話ではありません。
現在も全国の神社で記録に残されていない武術奉納額が保存もされていない状態で朽ち果てて行こうとしています。
もし、あなたが古流や歴史にほんの僅かでも愛着があるならば、探しだして記録に残してほしい。
後世に残されている可能性は、限りなく低いからです。
ちゃんと管理されずにボロボロになった奉納額を直接見たことがある人ならわかるはずです。
武術奉納額は文化財として申請しても通る可能性は、限りなく低い。誰も誉めてはくれないでしょう。

それでもやるべきです。古流を習う人ならば。
ネットを見ていても、全国的にこういった活動をしている人が少なすぎる。誰にもその存在を知られないまま朽ちていっている武術奉納額は、兵庫県だけではないはずです。
探しても見つからない県もあるかもしれません。それでも探すべきだ。

我々より上の世代の先生方がこういった古武術史の史跡をほったらかしにしてきたせいです。
我々も同じ愚行を重ねるのか?それとも後世のために何の報奨も貰えなくても努力するか?
全ては、あなた方の良心にかかっている。

画像は、朽ち果てていく重房流棒術の奉納額。
教育委員会の記録にはない。
だからちゃんと保存されずに朽ちて文字も消えている。(有り難いことに出石教育委員会は、別の重房流奉納額と人見流奉納額を保存してくれています。)
しかし、文字が消える前に神主様が文字を書き取って下さっていたお陰でこれが慶応年間の奉納額であることがわかりました。当然、神主様も何の特にもなら無いとわかっていて書き取って下さった物で、誰にも知られないままに、神主の家に伝わっていました。
私が現在の神主にお尋ねするまで眠っていた記録でした。その方もその重要性を十分に理解して受け継いでくれていたのです。本当に有り難いことです。
きっと、全国の神社でもあなたを待っている奉納額が眠っていると思います。

やらねばなりません。
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