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日曜日に兵庫県加東市上三草にある三草藩武家屋敷を見に行ってきました。


三軒あるうちの真ん中にある家が公開されている三草藩の武家屋敷です。両隣は、今も人が住んでおられるので見学の際は、ご注意を。

三草藩は、寛保二年(1742年)高柳一万石の藩主であった丹羽薫氏(にわしげうし)が同じく一万石の三草藩藩主となります。
三草藩は参勤交代せずに江戸に常駐している定府の大名でした。

さて三草藩の武術は、江戸藩邸に学校がありました。
弘化年間(1844~1848)の武術教員は、下記の通り。

大嶋流槍術 後藤 興
新陰流剣術 秦 勝三郎
大坪本流馬術 瀬谷 傳次郎
志津賀流薙刀 秦 勝三郎
水戸流遊泳 近藤 又八
金田流砲術 永井 忠左衛門
小笠原流緒礼 首藤 俊蔵
御家流手跡 石渡 森衛

新陰流と志津賀流の師範が同じなのが目を引きます。
三草藩陣屋には、慶應四年(1868)に藩校「顕道館」が作られます。内容は、江戸藩邸の仮学校と同じようです。
顕道館は設立して四年後の明治五年に廃校になり、翌六年に火災にあい、焼失しました。

因みに明治23年に出版された「日本教育資料」には、三草藩藩校の記録が載っていますが、藩校の設立年月日や藩主氏福の生きた時代がずれており、資料としての信憑性は、そこまで高くないようです。
正しい記録は、上記の通りです。
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