今年の夏期連休中に私は、自分自身に課題を出した。一つは、自分の家のルーツを調べること。つまり自由研究ならぬ自分研究。
もう一つは、武術に関わる史跡巡り。今年は三田市と姫路市網干区内にあった丸亀藩領(飛び地)の調査をしました。
最後の課題は、たつの市にある歴史資料館内の龍野藩藩士の家譜を再調査して、龍野藩で伝承されたとされる「柳剛流」の実態を確かめる事でした。

たつの市の歴史資料館は、龍野城跡(城と言うより陣屋のようなもの)に建てられていて、交通の便が悪い。更に地元民で無いと迷子になるのではないかと思われるほど、複雑な場所に建てられています。

しかし、ここは、知る人ぞ知る歴史資料の宝庫なのです。


国会図書館にも保存されていない古文書が沢山保管されています。その一つが大量な龍野藩藩士の家譜なのです。


結果から報告しますと、柳剛流については、前回と同じように柳剛流については、やはり一言も書かれていませんでした。龍野藩における柳剛流は、未だにわかりません。
しかし、家譜を調べていると多くの武術家の記録が目に入ってくる。以前から気になっていましたが、夏期連休中に柳剛流だけを調べて、これらの情報を調査しないのは、もったいない気がして、一度読み調べた家譜を再読し、これ等をまとめる必要があると感じました。何故ならそこには、藩校で学ばれたとされる流儀以外の名前も多く上がっており、新たな情報の宝庫だったからです。

そこで龍野藩における柳剛流の調査は、ここで一旦終了し、龍野藩藩士の武術家を調べることに路線変更しました。
調査をしているときに、同じくたつの市資料館で古文書の解読、現代文に読み下し、一般人にも読みやすく分かりやすいようにする活動をしておられる学者の國重先生と偶然お会いする機会に恵まれました。國重先生は、私が何を調べているのか興味を持たれたようで、先生の方から「何を調べておられるのですか?」と、声をかけて下さいました。そこで古流の奉納額の調査と保存。そして武術史研究の話をしている事をお話しすると大変喜んで下さいました。ただ、龍野藩における柳剛流の話は、先生も聞いたことが無いとのこと。
更に実態が怪しくなって来ましたが、國重先生は、「柳剛流(りゅうこうりゅう)」と言う流儀名を大層気に入られたようで、先生の方でも何か分かり次第、連絡をくれるとのこと。さらに三日月の歴史を調べておられる方もご紹介下さると仰って下さいました。
國重先生とは、夏期連休中の数日間、二人きりで歴史資料館で調べものをしていたので、色々と歴史や古文書について、アドバイスをしてくださいました。古文書を読むのに最適な辞典を教えてくださったり、江戸時代の播州地方の武士が読んだ俳句等を丁寧に読み下し、無学な私にも分かりやすいように説明して下さったのです。そこには、当時の上級階級の武士の本音とセンスが描かれており、とても胸がときめきました。これで武術史を調べるなら、武術だけでなく、こうした武士達の習慣や生の声を聞くことも大切だと強く感じました。

國重先生との出会いは、私に大きな前進をさせてくれるものとなるでしょう。私は、國重先生に色々と教えていただいているときに、ふと、西躰家の本家がお世話になっているお寺さんがしてくれた二つの話を思い出しました。

「西躰さん、人生では、金脈よりも人脈ですよ。人脈は、何より大切です。コレをご縁と言います。ご縁は大切にしないといけませんよ」


(お寺の壁に掛けられたこの書をさして)「西躰さん、コレは、古い教えは心を照らすと書いてあります。正にあなたが調べておられることは、こういうことなのですよ。」
「古い教えは心を照らす。」この言葉を知ったとき、私は、雷に打たれたように感動しました。温故知新も良い言葉ですが何か足らず分があると感じていました。その足らず分とは、「心を照らす」と言う部分だと確信したのです。そしてこの言葉はその日から私にとって重要な言葉になりました。

そして國重先生との出会いは、正にこの二つの事だとしみじみ感じていました。
龍野藩家譜を纏めるのは、まだまだ終わっていません。夏休みの宿題の提出が遅いのは、学生時代から何も変わっていません。しかしコレばかりは早く提出すれば良いものでもありません。脇道にそれながら、色々な情報を足しながら、時間をかけて提出したいと思います。

そんな風に考えるように今年の夏期連休は、私を成長させてくれました。素敵な出会いの多い夏休みでした。
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