インターネットとは有り難いもので、以前に山崎藩における上村発明流棒術の免状に関する記事を公開したら、早々に山崎のお隣になる林田にお住まいの塩谷稔様の御先祖様が「上村発明一統流」の師範家でその免状をお持ちだとご連絡をいただきました。
早速、連絡を取り合ってお会いして免状を見せていただきました。
上村発明一統流の巻物は、四巻。


起請文まで残っていて、上村発明流でなく、上村発明一統流と最初にハッキリと書かれています。

上村発明流から派生した流儀なのですが、免状は、山崎藩の上村発明流棒術の免状よりも更に20年ほど古くに出ています。上村発明流棒術は、想像していたよりも古い流儀のようです。
不思議なことに山崎藩と塩谷家の二つの免状には、どちらも創始者である「上村五右衛門尉」の名前が系譜には書かれていません。
こちらが塩谷家家伝の免状。

こちらが山崎藩の上村発明流棒術の免状。

ご覧の通り上村五右衛門尉の名前がありません。しかも系譜で一致するのは、「三田 小右衛門」のみです。この三田小右衛門から上村五右衛門尉までの系譜が書かれていませんので、三田小右衛門が何代目かわからないです。
塩谷家の上村発明一統流の系譜にある「五百井 磯右衛門」ですが、この地方の武士の中に「五百井」姓の武士が記憶の片隅にあったのですが、思い出せないままです。物凄くモヤモヤしますが、播州地方なのは、間違いないはずです。思い出したら、またお知らせします。

さて、山崎藩と塩谷家の上村発明流棒術ですが、塩谷家の上村発明一統流は、上村発明流から派生した流儀なのですが、形名が似ているようで一致しません。
こちらが塩谷家の上村発明一統流

こちらが山崎藩の上村発明流


一致しません。
山崎藩の免状よりも二十年程前の上村発明一統流の方が源流に近いのか、それとも上村発明流から上村発明一統流へ変わった時に形が変わったのか。
反対に山崎藩の上村発明流棒術が二十年の時代の内に変化していったのか、両者の免状よりも古い免状が出てこない限りわかりません。
そもそも何故、両方の免状で系譜の中に流祖である「上村五右衛門尉」の名前が入っていないのでしょうか?
両方の免状の上で一致している一代目に書かれている「三田小右衛門」とは、何者でしょうか?何藩の人で、どの様な経緯で上村発明流棒術を習ったのでしょうか?
新たな免状が出てきたことで更に疑問が増えましたが、上村発明流棒術が、三日月藩、山崎藩、龍野藩で学ばれたことがわかりました。
この三藩と距離がとても近く、特に三日月藩と関係が深い赤穂藩は、藩主が三日月藩と同じ森家で、学ばれた武術も一致する部分が多いので、赤穂藩でも上村発明流棒術が学ばれた可能性も充分に考えられます。
播州一円で学ばれた上村発明流棒術。今後の情報に期待します。
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上村発明一統流2

一伝無想流補足