山崎藩には、謎の流儀の巻物「天月万象紅葉巻」があります。



この巻物によると流祖は、「不破 忠左衛門」。
差出人は、「冨和 助大夫」。冨和と不破は、同家で助大夫の代から冨和の字を用います。
「不破 忠左衛門」は、寛文年間に書かれた政貞(山崎藩初代藩主)の家臣団(分限帳)に名前があります。
22俵2人扶持。助大夫は、その子。

受取人の「山岸 権之助」は、山崎藩の中でもとりわけ武術に秀でた山岸家の人間で、相当な数の武術巻物が残されています。
山岸家は、元々、姫路藩に仕えていました。姫路藩は、本多忠政以降、本多家が治めていましたが、それが国替えされた時に職を失い、かつて同じ姫路藩にいた仲間を頼って山崎藩の本多家に仕えることになりました。
寛文年間の家臣団に既に名前があります。本多家が山崎藩に入封された頃、直ぐに家臣団に加わったていたことがわかります。
「山岸 又八郎」28俵3人扶持。
「山岸 又太郎」25俵2人扶持。
山岸家の武術巻物も今後、ご紹介して行きます。
この「天月万象紅葉巻」は、何流の流れを汲んでいるのかわかりませんが、山崎町史には、藩校で教授した居合流儀に「紅葉」と記されているので、恐らくこれがその流儀ではないかと、思われます。

さて、ここから話が横に反れますが、「天月万象紅葉巻」の祖は、「不破 忠左衛門」のようですが、この不破。実は、「國富 忠左衛門」が作った「当用術」の祖にスリ変わっているようです。
武芸流派大辞典に「当用向鏡流」の条があり、その次の条が「当用流」となっています。「当用流」の説明は、「右の条に同じ。」とあっさりしており、「國富 忠左衛門」が作った「当用流」と「当用向鏡流」が同じであると説明しています。
しかし、「当用向鏡流」の祖は「不破 又右衛門」です。
「当用流」の祖は「國富 忠左衛門」であることは、三日月藩井上家に伝わる宝暦年間に書かれた巻物で明らかになっています。
しかし、その井上家巻物から更に時代が下がった時代、安政5年に「土居 造酒治(三日月藩の天心流、当用術、竹林流の師範)」に出された巻物では、系譜の中で流祖だけが、「國富 忠左衛門「から「冨和 又右衛門」にスリ変わっているようです。それ以外はさほど累代の名前に変化がないので、意図的に「國富 忠左衛門」から「冨和 又右衛門」に変わったと思われます。
この「当用向鏡流」の流祖「冨和 又右衛門」は、実在の人物で山崎藩の人です。「天月万象紅葉巻」の流祖「不破 忠左衛門」の子孫です。
「冨和 又右衛門」は三代に渡って又右衛門を名乗ります。長州征伐に参加し活躍した人物が一人いて、「当用向鏡流」の流祖にされている又右衛門は、その上の代の又右衛門の事と思われます。
何故、スリ変わったのか理由は、定かではありませんが、年代的に無理があります。
ただ一つ気になるのが天心流の伝書と天月万象紅葉巻の内容で被る部分が多いので無関係とも思われません。
今後の調査課題となります。

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