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上村発明流の歴代師範について少しばかり情報を得ました。
先ず上村発明一統流の師範の一人である「五百井 磯右衛門」についてですが

龍野藩士、「三田 源三郎勝政」は、「五百井 磯右衛門」の娘を妻に貰っています。この時に三田家と五百井家は、親戚関係となっています。
源三郎は寛保二年(1742年)に召し抱えられました。寛保二年と言うと、「五百井 磯右衛門」が「塩谷孫八」に免状を出した年で、この頃既に免状を出すに相応しい年齢に達していたものと思われるので、年代的にも合致します。
更に言うと、「五百井 磯右衛門」の前に名を連ねる「藤井曽太夫」は、寛保二年に留守居組頭になった人物で、以前にも申しましたが年齢的に「五百井 磯右衛門」と「藤井曽太夫」は、同世代の人だと推測されるので、やはり師弟と言うより兄弟弟子の可能性が高いと思われます。
「五百井 磯右衛門」の娘を妻に貰った「三田源三郎」の父は、「三田 太郎右衛門勝正」で揖西郡二塚村医師 三田玄信の息子であると書かれています。もう少し調査して確証を得る必要がありますが、初代「三田 小右衛門尉」もこの揖西二塚村の出身だと思われます。
この揖西郡とは、龍野藩領です。
上村発明一統流の起請文に名を連ねる八瀬家は、龍野揖西の庄屋の名前であり、上村発明一統流は龍野藩で幅広い層に学ばれ根付いていた武術だとわかります。


山崎藩伝上村発明流棒術の三代目に名が書かれている「藤木平六」は、龍野藩士で天和二年(1682年)に12歳にして召し抱えられたとあります。
この人から三代下った「横井 蔀」は明和二年に免状を貰っています。
上村発明流三代目の「藤木 平六」と同じく上村発明一統流の三代目の「藤井 曽太夫」は、明和元年に亡くなっており、この二人は、同世代の人だと推測されます。

龍野藩で広く学ばれた上村発明流と上村発明一統流。名前から察するに上村発明一統流は、上村発明流から派生したと思われますが、一体、どの代からでしょうか?更なる調査が必要となります。
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