巻物研究のついでに山崎藩の事に詳しい横井氏に山崎の民話や伝説について詳しく書かれた本もないですかと尋ねたら、私が生まれる数年前に兵庫県学校厚生会によって出版された地域の事について書かれたシリーズを教えていただいた。
そのシリーズの民話の分は既に読んでいたのですが、そのシリーズの最終巻の「郷土の空襲」については未読でした。

そこには、太平洋戦争中の播州の戦争実体験と平和に対する願いが描かれていました。私がそれを食い入るように読んでいると横井氏は「もう一冊持っているからそちらは差し上げますよ」と、私に1冊譲ってくださいました。
私は家に帰ってからこの本を一気に読みました。
姫路大空襲の時、たくさんの人が亡くなった話や戦時中の苦労話、疎開した子供のすすり泣きや、疎開してきた子供の面倒を見ていた先生や寺の関係者の苦悩まで書かれていました。
誰もが生きるのに苦しい時代、人間の美しい部分だけでなく、醜い部分も当然出てきます。それがすべて書かれているこの本は涙なしでは読めません。

実は第二次世界大戦の事で以前から皆さんにお知らせしておかねばならないことがありました。
武術の話題ではないので、どのタイミングで話そうか思案していましたが、ちょうどこの本と出合ったこの日に書きたいことがあります。
横井氏の家には一枚の旗があります。

これは南方で戦死した日本人兵士の身につけてあったものを英国人が奪い取り、とある場所に展示していたものです。
その英国人は、定年後、自分のバーを開き、そこにこれを飾ろうと語っていました。それを知ったとある日本人が説得に説得を重ね、これを譲ってもらうことに成功しました。
その人物は、何とかこれを遺族のもとに還したいと思われたそうですが、情報が少なすぎて御遺族を探すことができませんでした。
しかし、旗には武庫特殊合金製作所の文字があるので兵庫県に関連するものではないかと考え、横井氏が依頼され、この旗の持ち主のご遺族を探すことになりました。
横井氏はずいぶんと探し回って、これが山崎出身の人物の持ち物だったことが分かりました。
その日本人兵士は、2度の出兵を生き残り、3度目の出兵で命を落としました。山崎から一度、武庫川の方へ移動になり、そこから南方に派兵されてお亡くなりになったのです。(画像右側のシミは、この人物の血です。)
横井氏は、ただ一人のご遺族である奥様にこの旗を無事にお渡し出来ました。
三度の出兵の末、戦死した兵士。その体に巻き付けた旗が巡り巡って山崎の地に戻ってこれたのは数奇な運命としか言いようがありません。
私は、こういった死んだ兵士から物をはぎ取り、部屋に飾ったりするという非人道的な行いが平気で出来る英国人や米国人の神経が全く理解できない。
しかし、よく返してくれたものだと感謝もする。中には絶対に還さない人も存在するだろう。それでも返してくれる人の手に渡ったことも運命としか言いようがないと思います。それとも何としても山崎の地に帰りたかった兵士の思いの力でしょうか?
いずれにしても胸を打つ話です。

さて、この旗は現在、再び横井氏のもとにあります。
旗を返すことには成功したのですが、そのご遺族である奥様に子供もなく、この旗は、死後、また横井氏の元に戻されることになりました。
横井氏は何の援助もなく、これを保管され、要請があればこれを公開し、いきさつを説明しておられます。横井氏ご自身も中学生の時に志願して兵士となられた方で太平洋戦争当時の事を語ることができる数少ない人物のおひとりなのです。
私は、この話を聞いてしまった以上、いつか話す義務があると思っていました。山崎藩の武術伝書が終わった後にお話ししようと思っていましたが、思いのほか、遅くなりそうでしたので、「郷土の空襲」を読んだこの日にご紹介しようと思います。

私たちが今、平和な日本に住んでいられるのもこういった人々の悲しい血の歴史の上に成り立っています。ある意味で平和とは大変罪深いものだと思います。
私たちはその罪深さを背負っているがゆえに、この平和を手放すような愚行を行ってはいけないのです。
この旗は、それを我々の良心に訴えかけるものであり、全国に残されているこういったものこそ、国や地方自治体は文化財として保護しなくてはならないと思います。
古武術家としては失格かもしれませんが、古武術の古文書などよりも、こちらの方が大切にしてもらいたいと強く思わずにはいられません。
(※横井家の武術伝書はじめ、古文書等も直接ご覧になるのは、どなたかの紹介が必要になります。)
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どうかしてた!!

柔新心流居合