祭神流試合録には、三日月藩に隣接する山崎藩藩士「丹羽三郎」と天保11年正月に試合したとあります。
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山崎藩分限帳に「丹羽三郎兵衛(後に三右衛門)」という人がおられるので、この人のことかと思われます。
丹羽家は、元は前川姓を名乗っていましたが、三郎兵衛の父親の代に前川から丹羽姓に改めました。
三郎兵衛は、文化9年に三人扶持で召し抱えられ、天保5年の時には、七石貰っていました。
安政4年に亡くなるときは、十石二人扶持を貰っていました。
分限帳には、彼の武術に関する記述は、ありませんが、義経流剣術を学んでいたようです。
彼がどこで義経流を学んだのか伝書が現在のところ見つかっていないので、わかりません。
山崎藩と三日月藩は、上の二人の試合が行われた同じ天保年間に上村発明流棒術の奉納額を合同で三日月の日岡八幡神社に掲げた例もありますので、剣術でも交流があったことが、この史料で明らかです。
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三日月藩伝 直心影流と祭神流

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