明治期の廃藩置県後の処理のため旧山崎藩藩士の記録が残されています。また山崎藩陣屋周辺の地図も天保のものと明治のものが残されており、幕末~明治の人々の坪数を知ることが出来、書かれた坪数はその数字です。江戸詰めをしていた人は、すむ地域が決まっていたので分かりやすい。
更に慶應二年以前に活躍していた人は、諸々の記録の中でその名を見ることが出来ます。

・横野 唯七郎 慶應3年正月11日に召上。300坪10石2人扶持
・大野 但見 明治二年正月11日に召上。160坪 10人扶持
・秋田 豊 元治元年6月12日に召上。328坪60俵5人扶持
・伊藤 錫 天保4年7月27日に召上。307坪7分11石3人扶持。
・下村 三吾 父親の三吾は上村発明流棒術の師範。文久二年正月11日に召上。174坪7分7石2人扶持
・冨和 捨蔵 安政7年正月11日に召上 。元治元年の長州征伐参戦している。 35俵3人扶持。「天月万像紅葉巻」の不破忠左衛門の子孫。不破家は、剣術槍術砲術に優れた
・箭中 新八 天保9年正月11日に召上。107坪10石2人扶持
・西川 覚馬 明治元年9月26日に召上。168坪江戸詰
・磯部 斧太郎 慶應元年12月7日に召上。180坪2分9厘40俵3人扶持
・福原 衛 明治3年正月11日に召上。202坪5分
・生田 常治 文久4年正月11日に召上。159坪8分
・遠藤 東太郎 明治2年正月11日に召上。7石2扶持
・毛利 熊太郎 明治4年正月12日に召上。357坪
・桑田 百治 嘉永4年正月11日に召上。8石
・倉橋 龍衛 明治二年正月11日に召上。2人扶持
・佐野 清七 龍野藩
・藤平 周蔵 嘉永元年正月11日に召上。108坪4分4厘江戸詰め 2人扶持
・伊藤 久馬 元治元年7月12日に召上。 592坪9分
・阿曽 頬蔵 文久3年8月7日に召上。 107坪2分
・熱田 相馬 明治二年正月12日に召上。代官の家系。
後見人
・小野 捨馬 150石嘉永7年正月11日に召上。1197坪6分
・本庄 丈平 安政6年正月11日に召上。5石2人扶持

以上を見る限り唯心流柔術奉納額は、中士で埋められています。
今回のような複数の資料を元に総合的な記録を探すのは、時間がかかり大変ですが、とても楽しいですね。龍野藩の奉納額も全て調べ上げたいものです。
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三日月藩の槍術伝書

山崎藩伝「唯心流柔術」の奉納額