三日月の竹内家には、変わった槍の絵図が描かれた伝書が伝わっています。
流儀名が書かれていません。
しかし、系譜を見るとこれが山崎藩藩士「丹波 三郎」から竹内 仙之助に出された物だとわかります。山崎藩と三日月藩の武術交流の深さがわかります。
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丹波三郎は、10石2人扶持を貰っていた山崎藩の中士でした。
実は、この「丹波 三郎」は、「竹内 仙之助」が天保年間に行った廻国修行で試合をした対戦相手でもあります。
「丹波 三郎」は、何故か義経流と言う東北の流儀を修めていました。
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東北で学ばれた義経流は、今のところ山崎藩の記録でも見つかっていないので、「丹波 三郎」が独自に学んだものと推測されます。しかし、もしかしたら東北の義経流とは、縁もゆかりもない播州発祥の同名異流の可能性も当然ありますが。
それはともかく、この「丹波 三郎」と「竹内 仙之助」。この時の試合でよほど気があったのか、それとも「竹内 仙之助」が敗れたのか、元々友達だったのかは知りませんが、ともかく「竹内 仙之助」は、天保の試合のあとに「丹波 三郎」からこの免状をもらっていることがわかります。「竹内 仙之助」は、直心影流剣術と祭神流槍術を修めて廻国修行を許されるほど優れた武術家でした。廻国修行は、その旅費を藩が負担してくれると言う厚待遇ですから、「竹内 仙之助」が三日月藩でトップクラスの実力者であったと言えます。その「竹内 仙之助」が頭を下げて習うのですから、対戦相手であった「丹波 三郎」の実力も相当優れていたのでしょう。。

更に面白いことにこの「丹波 三郎」の子は、養子で赤穂藩種田流槍術師範「飯尾 精之進」の弟と言うのだから、驚きです。
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画像は、赤穂藩種田流槍術師範の「飯尾 精之進」を讃える奉納額。(相生市にある若狭野八幡神社に掲げられています。)

三日月藩~山崎藩~赤穂藩の槍術は、この「丹波 三郎」を中心に繋がっていた一面もあったのです。この関係性は、この伝書と山崎藩分限帳のお陰で判明しました。
我々武術家が正しい武術史を知ることが出来るのも、全て古文書を保管して下さった人のお陰です。
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三日月藩伝荻野流砲術

山崎藩伝「唯心流柔術」の奉納額2